大判例

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最高裁判所第三小法廷 昭和47年(あ)1588号 決定

本籍

東京都港区南麻布五丁目二番地

住居

東京都港区南麻布五丁目三番二九号

会社役員

斉藤博

大正一一年七月一日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和四七年五月二六日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があつたので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

被告人本人の上告趣意について。

所論は、事実誤認、単なる法令違反の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

弁護人真鍋薫の上告趣意について。

所論のうち、その四において判例違反をいう点は、事実の所得を秘匿して内容虚偽の所得税確定申告書を提出した本件につき、原判決が過少申告ほ脱犯における「詐偽その他不正の行為」とは過少申告それ自体をいうとした判断は、なんら引用の当裁判所大法廷の判例(昭和四二年一一月八日判決・刑集二一巻九号一一九七頁)と相反する判断をしたものでないことがきわめて明らかであり、(昭和四八年三月二〇日第三小法廷判決・刑集二七巻二号一三八頁参照)、また、所論二、九、一〇及び一五において判例違反をいう点は、引用の各判例は、所論の点についてなんら法律判断を示していないものか、若しくは事案を異にし本件に適切でないものであり、その余の各所論は、違憲(二九条、三〇条、三一条違反)をいう点を含め、その実質は、事実誤認、単なる法令違反、量刑不当の主張であつて、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

よつて、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 高辻正己 裁判官 関根小郷 裁判官 天野武一 裁判官 坂本吉勝 裁判官 江里口清雄)

○昭和四七年(あ)第一五八八号

被告人 斉藤博

被被告人の上告趣意(昭和四七年一〇月五日付)

原判決には、左に記述しますように、判決に影響を及ぼすべき法令の違反ないし重大な事実の誤認があり、破棄しなければ著しく正義に反すると思います。

第一、地代収入について

1. 地代収入の基となつたその土地の所有権について原地主との間で訴訟中でありましたことは原判決で認められている通りであります。しかし乍ら原判決では「……本件地代は少なくとも被告人が地代として現実に萩原、赤山から受領したときに確定したというべきである」とされていますが、その土地の所有権が係争中なる為借地人は一応土地所有名義人である私の銀行口座(証拠品の私の個人元帳の当該口座に記録されています)に地代として一方的に振込んできたのでありまして、私は地代相当の預り金と考えて居りました。従つて借地人から地代としての受領書を貰い度いとの申入れはありましたが事情を説明して、地代の受領書は全然発行して居りません。地代相当の預り金で土地所有権が確定する迄は仮りの収入であります。預り金が即、確定収入とみなされるのならばうっかり金を預かることも出来ません。

2. 若し、この仮りの地代収入を確定の収入とみなしてその所得を申告し、納税したと致しましよう。所がその後当該土地所有権の争に敗れ既に預つた地代の仮収入金を前地主に戻した場合を想定して所轄の麻布税務署所得係に指示を受けに行きましたら、係員の説明は次の様でした。「既に申告し納税した分の所得が何等かの事情で損失となつた場合は減額更正請求の手続きをすれば税務署で調査し事実ならば納付した税金はお返しします。但し減額更正手続は既に納付してから一年以内です。若し一年以上経過した場合は救済できません」とのことでした。私のこの土地の所有権の争は約三年かかつています。(民事訴訟は比較的長く年月を要し、とても一年以内に判決が出ることは不可能です。特に土地所有権の帰属問題等尚更不可能です)と致しますと原判決に「……被告人が地代としてすでに受領した金員は前地主に渡すべきかどうかは全く別個の法律関係によりきまるものである」と示されてありますが、別個の法律によりこの係争に私の方が敗れそれも現実の如く三年経過後に確定した場合、前記税務署員の説明と照応致しますと減額更正請求時効の二年分の既納税分は救済不能となり、みすみす損失となります。従って土地所有権の帰属確定後に預った地代を確定収入として申告するのが現実的に正しいのではないでしようか。

第二、手形売買の収入について

1. 私に対して手形売買取引を最初に勧誘したのは、昭和三六年春頃、当時(株)日証のセールスマンであつた平賀五郎証人であります。引続いて他の業者と取引が始まつたわけです。そしてこれらの業者はパンフレツト等を用い「手形は有価証券であり其の売買差益は非課税である」との趣旨を宣伝して居ましたので私もその様に信じて居りました。従つて手形売買取引に際し態々架空名義を用いる必要も感じていませんでした。故に税金を逃れる為に取引上私の名前を出さない様に等ということを私の方から積極的に申し入れて取引の条件にした様なことはありません。業者は取引名を大体上様という様に記載していた様です(松重俊雄、臼井康雄、平賀五郎、柴崎真、川名、長谷徳三郎、以上各証人の証言通りです)又このことは昭和四二年二月一〇日、検察官の取調べの際にも供述申し上げて居ります。

そして原判決に示されている「‥…大部分の場合、自ら進んで架空名義を使用するよう業者に依頼し‥‥」という様なことはありませんでした。

前記の如く非課税である旨の宣伝をしていたことは各証人の証言通りでありますが加えて手形売買に類似の割引債券の売買も当時は非課税であつたこと等からこれ等業者の間違つた宣伝にまどわされて手形売買の収入について申告を致しませんでした。

業界の最大手である(株)日証に於ては過去一〇年間この様な宣伝のもとで営業がなされ昭和三六年より昭和四〇年の五年間で八〇億円余がその差益として投資家に流出していながら、毎年の税務申告書が是認され、一度も問題にならないで放置されていながらその宣伝により誤信した私の方のみを罰するのは誠に不公平の感が致します。

2. 私が銀行取引に際して一部仮名を用いたことが他の事柄とからみ脱税の目的ではないかということですが全く別の目的であります。

それは世上、自分の資産が簡単に第三者に知られるということは、同業者や其の他知り合いの者からそねみを受けたり、借金の申込を受ける等、あまりこのましいものではないというのが常識であります。当時どこの銀行でも無記名定期預金がありました。又国債や公社債の売却宣伝にも安全無記名を明記されて居ります。何故無記名がキヤツチフレーズになつているのでしようか。又他方防犯的な考え方から、多額の資産を持つていることが第三者に知れますと、盗難、詐取、寄付の強要、強迫、営利誘拐等の危険を招きますので、成るべく纒つたものは世間には知られぬ様にとの防衛本能に基く心掛けが当然必要であります。私が銀行取引した口座は東京国税局で作成しました銀行調査書(証拠9)によりますと昭和三八年から昭和四〇年の間四五口あります。この内仮名を用いましたのは次の六口でありこの口座で手形の取立を致しました。明細は次の通りです。

日本信託銀行下谷支店 名義人 太陽商事 取立回数 九

〃 〃 昭和興業 〃 一〇一

〃 〃 中村良夫 〃 三

〃 〃 斉藤商店 〃 一四

三井銀行日本橋支店 〃 中谷三郎 〃 一

勧業銀行兜町支店 〃 中谷三郎 〃 二

以上の通りですが各銀行共私の実名の口座や会社の口座或は家族の実名の口座が何口も有り夫々一〇年以上の取引の有る銀行です。勿論面識も充分知つて居りとても架空を装ふことは不可能であります。従いまして私の取立てた手形の裏書を調べたり、或は電話にて照合すれば仮名であつても私の口座であることは直ちに明白で秘匿等計れる筈がありません。又どこの銀行でも手形の取立を依頼された場合に、それが本人と確認されない場合は取立の依頼に応じません。その理由は若し取立てた手形が不渡りとなつた場合、其の旨を通告することも出来ずひいては不渡届の提出や不渡手形の返還等の手続きが不能となり損害賠償の責任を問われるからです。前記銀行の中で日本信託銀行下谷支店は、前記三行による手形取立回数の合計一三〇回の内一二七回と九八%を占めて居ります。従いまして名義が仮名であつても実質私の口座であることは熟知して居りました。更にこの銀行から私は手形割引による貸付を殆ど毎月の様に受けていたのです。銀行は勿論ですが、どんな人でも会社でも「どこの馬の骨か分らない者」に貸付することは絶対にないでしよう。ですからこの銀行も名義はともかく私との取引は私が真実の本人であることを知りつくして居りました。

3. 私が計画的に手形売買による収入を秘匿したとの判断は事実に相違して居ります。そして前述した如く、

(イ) 難解なる税法を知らず業者の誤っているけれど実際的に近い様な宣伝を信用した。

(ロ) 手形業者との取引に際し私から架空名義を要求はしてないが、何れ非課税と誤信の結果適当にまかせた為「斉藤博様」「斉藤様」「上様」「新川様」或は宛名がブランクになつている等一部誤解を生じた。

(ハ) 銀行との取引に際し常識的或は防犯的見地から一部仮名口座を使用した。しかし、これとても私が実質本人であることを充分しつている銀行が相手なので、支障ないと思つた。

等のことが重なり合つて脱税の手段であるとの疑を招いたと思います。しかしこんな常識的な一般的なことをして置くだけで、何事にも綿密に調査をなさる税務当局に対して所得を秘匿することはとても不可能であります。若し仮りに計画的に所得を秘匿するならばこんな単純で愚鈍な方法を選ばず、もつと専門家の知恵を借りて、複雑にして緻密な方法を選ぶのが当然だと思います。まして個人元帳に逐一記録し長期間保存して置くでしようか。

私には所得を秘匿する意思はまつたくありませんでした。

4. 手形売買取引による収入の計上時点は、手形を売買した時点が正しいと思います。手形売買は、直接振出人に対して金を貸付けるのではなく、既に振出された手形の支払請求権をその流通の過程で売買するのでありますから、それに伴う利益又は損失は手形金額の支払請求権を取得した時点又は譲渡或は権利の完結した時点に計上するのが正当だと思います。

原判決には「……割引のあつたとき以降時の経過とともに、日々実現し、期間対応分が当該事業年度分の収入金額となり……」とありますが手形売買価格の要因である割引レートはその時々の経済状況により或は高く或は低く変化するのは債券の売買価格、或は株式の売買価格と同様であります。従つて時の経過は算出されても日々実現する収入のレートが不定では収入金額は計算出来ません。よつて実際に手形を売買した時点に算出し其の年度の収入或は損失として計上するのが正しいと思います。又実際問題として買入レートにより期末に一応期間対応分を算出し未経過分を分離した後、次期に於て売却或は再割引等で譲渡した場合買入た時のレートと相違した時(殆ど買レートと売レートは相違する筈です。又買レートと売レートに差があるから譲渡するのです。要するにその差が儲になるのです。)は更に未経過分の収入からレートによる差額を算出して修正しなければならずそれも未経過分の何日目頃からレートに差を生じたかは測定不可能であります。まして私の場合年末の手持手形の枚数は七〇〇~八〇〇枚もありますので(証拠の個人元帳に枚数の記録もしてあります。)現実的にコンピユーターでも用いなければ算出不可能であります。この様な場合どの様に処理したら良いかと思い昭和四四年四月一四日所轄の麻布税務署所得税第一係小倉主任に指導を受けた処「それは手形の支払請求権を得た時点、即ち手形買入の時に額面との差額を収入として計上するのが当然です」と明確な返事を得ました。

第三、博栄会について

1. 私が金融業として手形売買等で事業をして居りましたので、近親の者から依頼されて匿名組合的な会をつくり博栄会と名付け皆で協議の上私にまかせてもらい運営致しました。会員は私の母、妻、息子二名、女中二名、妻の父母、義兄二名等でありました。(四三、一二、三斉藤みつ子証人の証言通りです)。

2. 会員から出資の申出があるときはこれを受入れ、その運営はすべて私にまかせてもらいました。そして利益は一定の割合で支払い分配金は年二回複利で計算をすることで全員異存なく応じてもらいました。私一人ですべてが決まる様にもとれますが、会員からの信頼が基礎にあるので、利益分配の率は事業の儲けとのかね合いでおのずときまることであり詳細な規約等はつくらなかつたが会員には全員入会に際し説明してありました。(四三、一二、三斉藤みつ子証人の証言通りです)。

3. 年二回分配金の計算をなして、支払額の一覧表を作成してあつたことは証拠の通りであります。この分配金は会員個々に連絡し現金で支払を希望する者に対しては現金で支払をなし、引続き継続を希望する者に対しては、元本に繰入れてこれを次期の元本として処理していました。これらは証拠の「博栄会支払表」に明示してある通り会員毎に明確に毎期表示しておりました。

4. 以上の如き実状に対し、原判決は「・・・・その運用については予め利率の約定はなく利息算出の規約や協議もなく、全く被告の一方的な計算に基づいてなされていたものである」と判断されて居りますが、数万或は数十万という自分の財産を、運用こそ私にまかせるにしても利率やその計算方法或は分配金の支払方法、元本の解約払等についての説明や約束を知らずにまかせる馬鹿な人はいない筈です。まして私は権力で出資させたのではありませんから、たとえ妻子でも私の説明に納得したから従つたのです。まして女中や親戚は利率や支払方法、解約が自由であるや否や等の私の説明を聞き約束を信じたから会員になつたのです。予め利率の約定もなく利息算出の規約もなくて数万或は数十万の財産を預けて、その結果が少くとも銀行の定期預金より不利であつたら会員になる者はいない筈です。有利不利な判断をする為にも当然私からの説明と約束があつたからで原判決の示している様な一方的計算であつた等ということはあり得ません。ましてこの博栄会は当時でも既に五年間も続き(証拠品の私の個人元帳の各年度に記録整理されています)、その後も続行し現在十余年の永きに及んで居ります。

5. 更に原判決に於ては博栄会の利率、分配金の利率、分配金の支払等が会員に通知したこともなく内部的に処理されていたと判断されていますが、全く事実誤認であります。

前記の如く博栄会の会員は私と起居を共にしている母、妻子、女中、並にいつも顔を合せている妻の実家のもの達であります。分配金の計算後電話連絡や口頭でその内容を連絡し通知しているのは当然であります。毎期通知をしなければ、出資金の運用をまかせたが分配金はどうなつているのかと当然不安を感じさせ会員の方から説明を求められて、原判決に示されている様な一方的とか内部的な意思決定等の状態ではすまされないのが当然です。私の方から運用の結果を会員それぞれに知らせて、それが博栄会の内容や利率の約束、分配金の算出方法等について私が当初会員に示した通りであるから会員は安心し納得していたのです。なればこそ五年も十年も永続したのです。企業でもない博栄会が朝夕起居を共にしているもの或はいつも顔を合せている親戚のものに分配金の支払期毎に個々に書面による通知書を出す等の見方はむしろ非現実的であります。

第四、不動信用金庫(不動信金と略します)からの謝礼金について

1. 私は一審判決に記載の如く、東京特殊(株)という会社を経営する傍個人的に金融業を営んで居つたのは事実です。金融業ですから簡易に表現すれば金銭を運用して儲ける事業をしていたのです。が「手形割引事業‥‥」等と狭義な表現をしているのは誤りだと思います。金融業の一部分として手形割引の行為をなしていたというのが現実的な表現だと思います。私も自分の手持資金を運用し普通の貸付もし又手形売買もしたのです。其の時の経済情勢により信用貸付を主としたり不動産担保貸付を主としたり手形売買を主としたりして事業として成可く有利なものに移るのは当然です。所轄の麻布税務署所得税係に問合せました処税法上の業種の区分にも手形割引業等という狭義な業種区分はなく金融業の中に含まれるそうです。従つて不動信金の謝礼金を区分するとなれば事業所得となる筈です。

2. 私がこの手形売買の部分に重点を置いて運営していた資金の運用比率を更に有利な不動信金の裏利による謝礼金の出る話に重点を移動させたのも金融業者として当然であります。三八年初頃手形売買に一億五千万円位あつた比率を同年末頃には二千万円まで減らし他に同年中に不動産や他の貸付金或は株式を売却して得た一億七千万円位を加えて合計三億五百万円の金が不動信金の謝礼金部分に移つたことが証拠品の私の個人元帳の三八年度分に記録されています。この様に金額的にも巨額であり其の取引回数も一〇ケ月間で五五口に及んで居ります。

この様に資金の性格、或は規模の大きさそして運用の趣旨等から判断すると不動信金よりの謝礼金の収入は当然金融業者の事業所得とみて議論の余地はないのではないでしようか。雑所得と称するいわば内職的な所得とするのは誠に現実ばなれがしています。

3. 更に不合理な点は不動信金の謝礼金を得る為に要した経費は事業所得の経費として認められているのに(弁控八、九)その基となる収益を雑所得扱いにしているのは甚だ矛盾しています。

4. 次に不動信金に預金したものが貸倒となつたか否かにつき実状を申し上げます。

(イ) 昭和三八年一一月中旬預金の払戻し不能の状態となりました。(証人砂山清進の証言=以下Bの証言と略します。証人小野庄乗の証言=以下Cの証言と略します。以上三人の証言通りです。)

(ロ) 昭和三八年一一月中旬~下旬不動信金の事業所は預金の払戻し不能の為大混乱となり数日間シヤツターを締めて閉鎖状態となりました。 (Aの証言及Bの証言通りです。)

(ハ) 昭和三八年一二月三日大蔵省の内意を受けて事態の調査に当つた中央信用金庫が同日付で発表した調査表(弁控、七)によると残存純資産は債務の一〇%程度であることを確認しています。(Bの証言及Cの証言通りです。)

(ニ) 昭和三八年一二月下旬の第一回債権者会議で大口預金債権に対し殆ど支払不能との説明が中央信金及不動信金からなされました。(B及びCの証言通りです。)

(ホ) 不動信金の当時の代表者三輪悟朗は背任事件発覚の為失踪後警視庁に逮捕されました。

(ヘ) 大蔵省高橋銀行局長は衆議院大蔵委員会に於て不動信金倒産事件につき「不動信金の残存資産は債権の一〇%位しかなくそれ以上の配当は不可能・・・・」との旨答弁しています。(弁控五、国会議事録写の通りです。)

(ト) 昭和三八年一二月下旬不動信金の小口預金者に預金債権支払の資金として城南信用金庫等大手一一の信用金庫から不動信金に合計三億七千万が貸付けられました。この不動信金に貸付けられた金は当然返済不能の為、貸倒となりましたので其の期の損金として扱う様大蔵省は公然と通達を各税務署に出して居ります(Cの証言の通りです)。この様に不動信金に対する債権に対して大蔵省は貸倒による損金扱いを認めているのに対して同じ債権者の私の債権に対して何故損金扱いが認められないのでしようか。

(チ) 昭和三九年三月三日不動信金は解散しています。(B及Cの証言通り)一般の企業でいうなら廃業状態になつているのです。

(リ) 原判決によりますと「……被告人ら大口預金者に対しては預金額の三割を支払い、事実上中央信用金庫が不動信用金庫の業務及び債権債務を引継いだ形となつたことが認められる。」とありますが重要な点で大きな誤認をしています。それは不動信金の債権債務を中央信金が引継いだといつてますが何一つ引継がないで不動信金は全く倒産状態なのです。

先ず不動信金の債権といへば後藤観光(株)に対する貸付金のみですが、同社は既に倒産して回収不能であります。(A及C証言の通りです)。

次に債務ですが主なものは私達の大口預金者に対する債務です。しかしこれに三割支払つたというのは中央信金が引継だからではなくて中央信金が金を私達の方に不動信金に代つて代位払したのであります。(B及C証言の通り)。

尚且中央信金は当初一割の予定であつたこの代位払額を三割に増額することを条件に私達大口預金者から不動信金の預金証書を買取つてしまつているのです。(C証言の通り)要するに中央信金は不動信金の業務の管理をしたのみで、原判決の如く債権債務の引継など毛頭して居ません。(B証言の通り)。

(ヌ) 不動信金に於ける残存資金を中央信金に譲渡した後は何もありません。只倒産して蒸発してしまつた後藤観光(株)に対する一二億余円の回収不能の貸付金のみです。又その見返りに取つた担保も無価値なものや後順位の為配当のあてのないもの等のみでそれすらも中央信金の転担保が付いていては全く皆無であります(A及Cの証言通り)。

(ル) 以上の様な当時の状況及びいきさつから判断されて私の不動信金に対する預金債権は尚、回収可能と思われましようか。其の後倒産から九年経過しましたが当時の儘で其の後一銭の返済もありません。不動信金の精算事務所も大部前に蒸発してなくなつています。

(ヲ) まだ他にも貸倒を証する事柄は枚挙にいといませんが冗長になる恐もありますので割愛致します。税務上一定の要件を備えていれば貸倒れと認められるとのことですがこれ丈多岐多様の要件があるのに何故当時の貸倒と認定してもらえないのでしようか。

5. 私は不動信金の貸倒れにより甚大な損失を被りました。一般に相手方が不渡倒産して回収皆無となつても不渡手形の紙片のみは残りますが、私の場合不動信金の預金証書を中央信金に買取られてしまつたので、紙片も残らないという悲惨な状況であります。この元利合計金が全部貸倒となつた上更に利益金部分に対する課税であります。この謝礼金こそ、まさしく幻の所得であります。そしてこの幻の所得に対して現実的に五千万円余の課税を受けているのです。三億円余の巨額な損失を受けて苦しんでいる私に更に五千万円余の課税とは「死人に鞭ち」の譬え以上の残酷極まる窮状であります。

第五、給与収入のうち、女中以外の分(簿外借入れ)について

1. 私が経営して居りました東京特殊鋼株式会社(会社と略します)と私との間に貸借関係があつたことは事実であります。しかし、この貸借関係を最初から正式に会社帳簿に貸付金とし又個人側は借入金として会計処理をしなかつたことは原判決の通りであります。その理由は、会社の資金の内、余裕のある資金等を手形売買に投資して利益をあげるべく考えましたが、会社の定款の業種の項目にも該当せず、又対取引先或は対銀行等の世間体もありますので、正式に個人貸付金として手形売買に投資することをはばかつた為であります。そして止むを得ず帳簿を操作してこれを簿外資金として個人に貸付けて手形売買に投資しました。

2. この会社からの簿外貸付金は昭和三八年夏頃から始まりました。そして個人は運用益の一〇%位を付して直ぐ返済し、ほんの二~三回位の予定でしたが、予想より順調なので次第に回数も多く金額も多くなりました。最初は会社の他の役員(私の実兄と妻です)に簿外貸付することと一〇%の利息を付して返済する点をそれとなく説明し内諾を得ました。その後規模も大きくなり期間も長期(最初一年位の内諾が三年位に延びました)となつた為役員間で問題となり昭和四一年三月二九日に役員会を開きました。席上荒木監査役にも事柄上関連がありますので同席してもらいました。この席上私から従来のいきさつを説明し、早急に一%の利息を付し会社へ返済すべく約束し全員之を了解し其の場で議事録を作成し署名捺印しました(四三、一〇、一斉藤栄八郎の証言通りです。)

3. 原判決によりますとこの役員会議事録の成立及び内容が疑わしいと判断されていますが疑わしい点は何一つありません。

(イ) 一審判決に於て「・・・・被告人の取締役会議事録に関する保管証とあわせ検討するに、右取締役会の開催されたのは国税当局が本件所得税法違反事件を立件し査察に着手(私が査察を受けたのは昭和四一年五月一九日です)した後であり・・・・」とありますがこの取締役会はそれよりも約二ケ月前の昭和四一年三月二九日であります。従つて後日作成されたとの誤解は日付の点からいつても氷解し会社から入金した金は私が借入れたことが明確であります。

(ロ) この議事録のことは査察の時点で何回も説明しましたが押収書類の内、現物の所在がどこに綴られたか判別出来なかつたので、取合つてくれませんでした。起訴になつた後、東京地検にまわされた押収書類の中から再三再四足を運びやつと苦労して探して証拠品として提出したものであります。東京高等裁判所に於ける古谷検事の答弁書二〇頁後段にある様な「・・・・これを貸付金であると偽装する為、後日作成したものと考えざるを得ない」と述べて居られますが後日作成したとするならば査察時に押収されて東京地検にまわされた多数の書類の中から出てくるわけがない筈です。これは重大な誤認であり会社の簿外の資金を個人に貸付たとする確証であります。

4. 原判決に指摘されている昭和四一年六月一〇日付大蔵事務官の被告人に対する質問顛末書の内容について、説明致します。同書三七頁に昭和三三年より昭和四〇年までの間会社から個人が受入れた金員について記載されています。次の通りです。

昭和三三年 七月八日 一、五〇〇、〇〇〇円

〃〃 九月八日 一、五〇〇、〇〇〇円

〃〃 一〇月六日 一、八六一、八六五円

昭和三四年 八月一日 三、〇〇〇、〇〇〇円

〃〃 九月九日 三、七四二、四二二円

〃〃 一二月二日 二、六四〇、〇〇〇円

昭和三五年 六月三〇日 八、〇〇〇、〇〇〇円

〃〃 九月三〇日 五、六〇〇、〇〇〇円

〃〃 一一月一〇日 三、八六七、七五〇円

昭和三六年 五月九日 一、三二六、九八〇円

昭和三六年 六月六日 一、八九三、九六〇円

八月一日 五、〇〇〇、〇〇〇円

一一月一日 四八二、九五八円

昭和三七年 五月二日 三、〇〇〇、〇〇〇円

五月二日 八、〇〇〇、〇〇〇円

四月二日 四、〇〇〇、〇〇〇円

一一月一五日 四、七〇〇、〇〇〇円

昭和三八年 七月三〇日 六、〇〇〇、〇〇〇円

昭和三九年 六月三〇日 四、二〇〇、〇〇〇円

九月一四日 三、〇〇〇、〇〇〇円

昭和四〇年 一月三〇日 一、二〇〇、〇〇〇円

七月三一日 二、〇〇〇、〇〇〇円

以上の通りですがこの内昭和三八年七月三〇日以降の金員は前記の如く会社の簿外資金を借入れたものであります。そして年率一〇%の利息を付けて昭和四一年一一月頃数回にわたり会社に返済ずみであることは一審判決で認められている通りです。ところが昭和三三年七月八日から同三七年一一月一五日までの金員は全く性質の異つた金銭の授受なのであります。それは顛末書にもある如く私が個人の資格で、個人の資金により、当時の米軍から不用となつた特殊鋼の払下げ入札に参加して入手した品を東京特殊鋼(株)に原価で譲渡した分の代金として受入れたものであります。

この金銭の授受に関し昭和三六年分及昭和三七年分が所轄の税務署から架空仕入として更正決定により課税されました。然しこれは架空仕入代金ではなく前述の如く従前から十数回繰返し行つた米軍払下品の代金の精算受入でありますのでその旨を主張して異議申立を致しました。この異議申立の対象金額合計二八、四〇三、八九八円に関し東京国税不服審判所に於て約三年にわたる調査の結果昭和四七年四月二〇日付東審(裁)第六〇号により右の内一三、二六二、五八一円の減額の裁決を得ました。何分にも相当の日時を経過した為書類、証拠が大部逸散し、一〇〇%の減額とならず甚だ残念でしたが全くの架空仕入ではないとの結末に落着致しました。

5. 尚同顛末書に当初から脱税を計画したかの如き文言がありますが、これは事実と異つたことを承知の上で止むを得ず肯定したのであります。それは昭和四四年三月二七日に一審裁判の本人尋問の時に起訴後始めて公の席で発言の機会を得ましたので其の時詳しく供述され記録されて居ります。要点を申し上げますと、私の所得税法違反の査察の時自宅と会社の双方の家宅捜査を受け帳簿や書類は勿論印鑑類からメモに至るまで殆んどのものを押収されました。自宅にあつた預金通帳、印鑑類の押収により一時は生活費にも困りました。まして会社の方では業務上欠くことの出来ない帳簿や伝票、契約書、請求書控、取引先人名簿、等の重要な書類から印鑑類まで押収され業務は完全に停止状態となりました。査察事件で信用を落した上、日常の業務が停止の状態とあつては正に倒産寸前のピンチでした。一時も早く、又一枚でもよけいに書類、帳簿の閲覧を頼んだり或は押収された印鑑類の貸出を受けて急いで捺印して処理を済ませなければ直ちに倒産という緊迫した状況に追い込まれました。こうした危険状態が三~四ケ月続きました。一方では週に二度位出頭して終日査察調査に応答してゆかなくてはなりません。査察の調査官にさからつたりしますと書類、帳簿の閲覧や印鑑類の貸出は直ぐ適当な口実を付けてストツプされてしまいます。否応なしに自分の都合の良いことも悪いことも調査官の下書した顛末書に任意で署名捺印せざるを得ないという状態でありました。二〇年間続いた会社をつぶすことはしのび難く、又個人も生活費に窮して家族共々路頭に迷うことも出来ず全く不本意乍ら計画して脱税をなしたとする調査官の意向に迎合した次第です。しかしこの迎合も必ず真実を以て疑を払うことが出来ると自信があつたので一時泥をかぶつたのです。果せるかな昭和三七年以前の東京国税不服審判所の調査を受けた分は疑いがはれました。この調査も米軍払下げの時点より七年ないし一二年も経過した為充分な証拠、証人が得られませんでしたが、もつと早い時点に調査してくれたら一〇〇%真実が明白となり全額修正となりこんな不公平な課税を受けずにすんだと思います。昭和四二年二月一六日付検察官に対する供述調書につきましても内容の任意性についてはこの顛末書と大同小異のいきさつであります。

6. ついで乍らこの顛末書の内容の信ぴよう性について更におかしい点は昭和三二年に米軍から払下を受けた品代の精算が三九年に行われた如く記載されて居りますが、立替分は大体半分から一年後に次々と順繰に精算されて三七年までに全部精算完了になつていますので三二年に立替たものが三九年迄七年間も放置されていたとは全く現実的にあり得ないことです。誤認も甚しいと思います。

当時は正しくとも誤りであろうとも調査官のいう様に迎合して任意の供述をした如くにしなければならなかつた困窮状態を表現している個所は他にもあります。この項の詳細も一審の本人尋問の時明確に供述してあります。

7. 尚この会社の簿外資金を昭和四一年一一月頃年一〇%の利息を付けて数回にわたつて会社に返済したことは一審の審理に於て認めてもらつたことは前記の通りですがこの返済した金に対して所轄の税務署は雑収入として更に重複して課税して居ます。会社から出た時は架空仕入として法人税を課し、それに伴つて認定賞与として源泉税を併課し後日個人から会社へ返済した時は雑収入として又法人税の対象となり貸借として一往復した金額に三重の課税となり誠に不合理だと思います。

第六、未だ他の所得についても申し上げたいと思いますが、対象金額も比較的少く又、本書面の頁数が更に相当増え大変煩わしくなりますので、省略致します。

又、以上の諸点をふくめ、その他については、原審での上申書を援用します。

結びに当りまして、私がいろいろと至らない点がありまして、その為脱税の御疑いを受け各方面に種々御手数を煩わし誠に申し訳ないと思つて居ります。しかし原判決に於ては事実と異る点が多々ありますので何とか真実をお認め載き度いと願つて申し述べた次第です。其の後は税務問題に関しても、税法は難解で判らないでは誤解を生じ過ちを招く恐れもあることが身に滲みて判りましたので、出来る限り勉強し、又専門の先生方の御指導を得て再びこの様なお疑いを受けない様注意致して居ります。勿論毎年の所得の申告は正しく期限内に提出し遅滞なく納税致して居ります。

つきましては何分深き御理解と寛大なる御処置の程を切に御願い申し上げます。

以上

○昭和四七年(ア)第一五八八号

被告人 斉藤博

弁護人真鍋薫の上告趣意(昭和四七年一〇月五日付)

原判決には、以下詳述するように、憲法違反、判例違反および刑訴法四一一条該当の廉あり、破棄せらるべきものと考える。よつて、原判決を破棄し、相当の裁判を求める。

一、判決理由一、(一)について

原判決は、本件は過少申告によるほ脱犯であると判示され、これを前提にして、実際の所得金額と税額より少額の確定申告書を提出し、正当な税額を法定の納付期限内に納付しないで、差額を免れることがほ脱犯を構成するから、第一審判決摘示は十分であるとされる。

しかし、先ず、本件が過少申告によるほ脱犯であるとする点は証拠に基かない認定、事実に反する解釈ないし理由そごの違法をふくむ。すなわち、原判決は「各所得毎に詐偽その他の不正行為がなければならない」とし(七枚目裏)、又「過少申告ほ脱犯における詐偽その他不正行為は過少申告それ自体をいう」としておられる(六枚目表、一七枚目裏)。ところが、第一審判決別紙第一ないし第三の公表金額欄にあきらかなように、不動産所得、事業所得および雑所得についてはなんらの申告をしておらない。右所得については過少申告の事実はないのであるから、本件をすべての所得について過少申告とすることは前提において誤まつているといわねばならない。そうすると、本件を各所得すべてについて過少申告ほ脱犯であるが故に過少申告書の提出それ自体で足りるとすることはできず、これらの所得についてはこれ以外の不正行為の摘示がなければならないであろう。

次に、「免れる」ことは、租税請求権を侵害し、租税法に定める租税収入を得しめないよう確定させることである(田中二郎、租税法三四四頁)とされている。したがつて、過少申告をすれば、申告納税にかかる租税債権は一応その旨の確定はするが、それによつて終局的にあるべき租税債権が侵害されるものではなく、更正等の処分、修正申告によつて租税債権を確定して租税収入を得しめることができるのである。そうだとすると、右の判示によつては「免れた」ことを判示したことにならぬというべきである。

要するに、原判決は法律の解釈を誤つて違法に租税債務を被告人に負担させる結果を招来したものであつて、憲法二九条、三〇条に違反しているものといわねばならぬ。少くとも、刑訴法四一一条一号、三号に該当すると考える。

二、判決理由一、(二)、一〇、(一)、について

原判決は、本件で問題となつている被告人に対する認定賞与分についても申告義務があるとされ、その根拠を旧法二六条、新法一二〇条に求めておられる。

しかし、給与所得については、源泉徴収の方法が法定されていて(旧法三八条、新法一八三条)、確定申告の際にはこの規定が前提となつて申告の内容が定められている。すなわち、「源泉徴収をされた又はされるべき所得税の額」については、これを控除すべき旨を定めている(旧法二六条、新法一二〇条)。源泉徴収の方式による所得については、つねにこの方式が先に適用され(源泉徴収が現実に行われない場合においても)るように規定されている。換言すれば、国税法体系においては、所得税に関しては、申告納税にかかる部分と源泉徴収にかかる部分を区分し、前者については当該個人を納税者とするが、後者については、源泉徴収義務者を納税者とし(国税通則法二条五号、国税徴収法二条六号)源泉徴収される者と国との間は、前者とことなる租税債権関係が設定されている。そして源泉徴収にかかる所得税の納付、徴収はすべて源泉徴収義務者が国との間で処理し、国は徴収義務者からのみ所得税を徴収し、徴収義務者は納税者としてこの義務を負担し、徴収未済分については、別途に徴収をされる者に支払を求めることとしている(旧法四三条、新法二二〇条以下)。この点を区別せず、認定賞与もすべて総所得金額に入るが故に、そのまま申告するしとすを原判決は、この点について違法があり、少くとも、「徴収されるべき所得税」を控除しないで申告することを求める原判決は、これを控除して正当に処理したものとの間に税額の上での差異を生ぜしめ、租税負担の不均衡を生ずることとなる。

のみならず、原判決の解釈によると、認定賞与支給時においては、支給を受けたものは、源泉徴収されたのであるかどうか不分明であり、又、されるべきものかどうかも判然としないのが常態であり、当該官庁の認定によつてはじめて分明となり、判然とするものであるから、結局、認定賞与を受けたものに不能を強い、ひいてはこれを網するものであるといわねばならない。

租税の確保のためには、法の定めるところにより、源泉徴収義務者から徴収すれば足るのであり、これを担保するために、源泉徴収義務者のほ脱犯の規定がある(旧法六九条の三、新法二四〇条)。したがつて、源泉徴収にかかる部分(認定賞与)については、右条文により、源泉徴収義務者に対し責任を問うべきであり(最大判、昭和三七年二月二一日、刑集一六巻二号一〇七頁)これを被告人に問うたのは擬律違反といわねばならぬ。

なお原判決は旧法六九条の二、または新法二三九条は、源泉徴収義務者を通じて虚儀の事実を主張してほ脱した場合に限ると解すべきだとされるが、右のように解すべき文理上の根拠はなく、源泉徴収にかかる部分につき被告人に責任を問うというのであれば、この条文によるべく、これによらない原判決は擬律違反である。

要するに、原判決は法律に違反して被告人に過大な租税債務を負担させ、判例に違反して法定手続によらず刑罰を科したもので、憲法二九条、三〇条、三一条に違反する。仮りにそうでないとしても、判決に影響を及ぼすべき法律の違反があり、破棄しなければ著しく正義に反するものと考える。

三、判決理由一、(三)について

原判決は第一審判決のような方法で所得を秘匿したときに所得税を免れる目的があつたし、過少申告のときにも、その目的があつたことを第一審判決が判示していれば、犯意の判示に欠けるところなしとされる。

しかし、原判決は、本件は過少申告ほ脱犯であると断じているのであるから、第一審判決の手形についての秘匿方法のみの判示で足りる筈もないし、かつ、その判示はいわゆる準備行為とする原判決の立場(六枚目裏)からは無意味なものといわねばならない。前記のように、なんら申告していない不動産、事業ならびに雑所得については原判決のいわれる不正行為たる過少申告もなく、したがつて犯意の判示があつたことにはならないのである。

原判決は違法に租税債務を認めて財産刑を課した点で憲法二九条、三〇条に違反する。少くとも、刑訴法四一一条一号に該当し、破棄を免れない。

四、判決理由一、(四)について

原判決は、本件を過少申告ほ脱犯であり、不正行為は過少申告そのものと判断されている。そして、他方、原判決は後記のように「ほ脱犯の成立については各所得毎に詐偽その他の不正行為がなければならず」と判示されている(七枚目裏)。してみると、本件を過少申告ほ脱犯とすることは誤りといわねばならぬ。けだし、被告人は、前記のように、不動産所得、事業所得、雑所得に関し、それぞれ何らの申告をしていないこと第一判決別紙第一ないし第三のとおりであり、これらの所得については過少申告の事実はないからである。原判決によれば、これらの所得については不正行為が存在しないことになり、したがつてほ脱犯の要件を欠くといわねばならない。

仮りに、原判示を前提としても、次のような問題がある。

原判決は、過少申告ほ脱犯における「詐偽その他不正の行為」とは過少申告それ自体をいうと判示される。過少申告を社会通念上許されない積極的な行為とされ、それのみで足るとの考え方を示された。

しかし、すでに御庁は不正行為は「ほ脱の意図をもつて、その手段として税の賦課徴収を不能もしくは著しく困難ならしめるようなんらかの偽計その他の工作を行うこと」と判示され(昭和四二年一一月八日刑集二一巻九号一一九七頁)ている。したがつて、原判決は右判例に違反する。けだし、過少申告は税の賦課徴収を不能もしくは著しく困難ならしめるものとはいえないからである。すなわち、法は当該官吏に対し申告についての調査権を賦与し、任意又は強制をもつて納税者を調査して、これに更正処分をなし又は修正申告を納税者に求めることができ、それは原則として五年の長きに及びうるよう措置している(国税通則法二四条、一九条、七〇条等参照)。これによれば、過少申告があつたからといつて当然に租税債権の行使が不能又は著しく困難ということはできず、被告人が修正申告により納税していることはこのことを明白に物語るものといえよう。

要するに、原判決は違法に租税債務を課した上、財産刑を科した点で憲法二九条、三〇条に違反するか、判例違反を犯している。しからずとするも、刑訴法四一一条一号、三号により破棄せられるべきである。

五、判決理由一、(五)について

原判決は、本件を過少申告ほ脱犯として理解され、不正行為の判示について第一審判決は要件を充たしているとされる。

しかし、さきにのべたように、被告人は不動産、事業および雑の三所得については申告していないのであるから、これらの所得について不正行為の判示がないこと極めて明らかである。原判決は「架空預金口座の設定」と「等」との判定がなされていることを挙示される。。しかし、前者は原判決によれば、準備行為であつて、不正行為ではないと明言されているのである。(六枚目表)から、これは不正行為の判定としては無意味という外はなく、又「等」の如き無内容の語が構成要件の表示として独立の意味をもちえないこと多語を俟つまい。

原判決は、違法に租税債務を課し、財産刑を科したもので、憲法二九条、三〇条に違反するか、刑訴法四一一条一号に違反する。

六、判決理由一、(六)について

原判決は、第一審判決が被告人の所得税の納付を免れた結果の発生した事実を摘示したものとして十分である、旨判示される。

しかし、「免れた」という結果発生は、第一審判決のどこを見ても判示されていない。第一審判決は「・・・・法定の納付期限までに納付しないで免れ」とのみ判示する。当該官庁は、被告人の修正申告により租税債権を満足しえたのであつて、法定の納付期限までに納付しないからといつて租税債務を免脱しえたことになるものでもなく、現実にそのような結果が発生したわけでもない。

原判決は申告期限を徒過すれば既遂となるといい、修正申告を受理した場合免れたといえないとの論をなんら理由を示さず排斥しているが、理由不備といわねばならぬ。

原判決は、申告期限を徒過することによつて免れることの結果が発生するとされる点でいわゆる納期説をとられたものと考えたが、租税債権の成立、確定という面から見ても必然性に乏しいのではないかと思われる。所得税は、源泉徴収によるものと申告納税によるものとの二種に分れ、前者は所得の支払の時に成立し、同時に確定し、後者は暦年終了の時に成立し、申告又は更正、決定のときに確定する(国税通則法一五、一六条)。つまり、租税債権の成立、確定は納期限という客観的な事実によつて左右されるものではない。したがつて、納期限を目安にして租税債権免脱の有無を測定することは正しいとはいえないのではないだろうか。仮りに、法が申告期限までに適正に税額が確定されることを期待しているとして、原判決のように申告期限の徒過をもつて既遂の時期とするとしても、前記のように、申告納税にかかる分と源泉徴収にかかる分とでは、その租税債権の成立、確定の時がことなるのであるから、これらにつき、別異の時期が考慮される必要があろう。

御庁においては、既遂の時期につき、すでにいわゆる納期説がとられており(昭和三六年七月六日、刑集一五巻七号一〇五四頁)、原判決はこれによつたとも思われるが、この考え方には右のように問題がある。

原判決は既遂の時期についての事実誤認ないし法令違反を犯したか、変更されるべき判例に依拠したもので、ひつきよう憲法二九条、三〇条に違反するか、刑訴法一一条一号、三号に該当し破棄されるべきものと考える。

七、判決理由二、について

原判決は、過少の虚偽申告書を提出することのいわゆる概括的犯意があれば、過少申告による犯意としては十分であると判示される。

しかし、前述のように、少くとも、事業、不動産および雑所得については申告をしていないのであるからこれらについては過少申告によるほ脱犯の成立はもちろん犯意はないのである。

原判決は、これら罪とならない行為につきほ脱犯の成立を認めたに帰し、これは結局、事実を誤認し、法令の解釈を誤まつたかによつて違法に租税法規を適用して憲法二九条、三〇条違反に陥つたか、少くとも刑訴法四一一条一号、三号により破棄されるべき結果を招いたものといわざるをえない。

八、判決理由三、について

(1) 原判決は借入金が株式取得のものであることは認めえないというのであるが、旧法一〇条三項但書によれば家事上の経費は必要経費にされないと規定し(新法四五条)ている。したがつて、一定の出費が必要経費とされないためには、家事(関連)費である旨が明らかにされる必要がある。

原判決は、積極的に株式取得のためのものであることを要するが如く解し、その証明のない限り必要経費としないとされているが、誤まつている。これは他面、いわゆる釈明権行使についての違法につながる問題でもある。

(2) 原判決は本件においては過少申告を不正行為とされているが、仮りにそれに限るとすれば、無申告の所得については不正行為のないこと証拠上明らかである。

原判決は、事実を誤認し又は法令の解釈を誤まつたもので、少くとも刑訴法四一一条一号、三号により破棄されなければ著しく正義に反すると考える。

九、判決理由四、(二)について

原判決は、猪股との間に本件土地の所有権の争があつても、被告人が本件土地を賃貸した場合には、その賃貸料はこれを被告人が受け取つたとき確定する旨判示される。

しかし、本件土地の所有権が原判示のように争われている場合には、被告人が受け取つた賃貸料又はその相当額は確定的に被告人に帰属するものではなく、単なる仮受金に止まる。けだし、被告人が敗訴したときは悪意の占有者として果実たる賃貸料相当額は猪股に返還すべき義務があるからである(民法一九〇条)。原判決は、これは別個の法律関係だとされるが、賃貸料の授受に伴う終局帰着によつてのみ収入すべき金額-権利が確定した金額-が判明するものである。御庁昭和四〇年九月八日判決(刑集一九巻六号六三〇頁)が、解約手附につき収入すべき権利の確定した金額でないと判示したところも、ひつきよう右と同趣旨に出ずるものと解せられるのであつて、しかる以上、原判決の右判示は判例に違反すること明らかである。

なお、この所得は不動産所得に該るところ、不動産所得については申告していないのであるから、原判示によれば不正の行為はなく、したがつて、ほ脱犯をもつて問擬されるべきいわれない(前記四、参照)。

一〇、判決理由五、(二)について

原判決は、「手形の割引は、これを手形の売買であると解すべきことは所論のとおりである。そして、手形割引により手形金額以下で手形を取得した場合には、手形金額と取得額との差額が手形割引収入を構成する」としながら、所得税法上の収入の発生時期は、「所得税法上収入(所得)は経済的成果であるとする見地から定めるべきである。」とし手形が満期に支払がなされ、または再割引されたとき収入が現実化するから、それまでは右収入は前受利益と考えられ、法人の手形割引の前受利益については期間対応分を収益に計算することが原則とされている。「本件手形割引収入は、事業収入であるから、右原則に従い、割引のあつたとき以降時の経過とともに日々実現し、期間対応分が当該事業年度の収入金額となり、未経過分は、翌期に繰り延べられると解する」と判示される。

所得税法上の収入すべき金額とは、収入すべき権利の確定した金額をいい、その確定の時期は、いわゆる事業所得にかかる売買代金債権については、法律上これを行使することができるようになつたときと解すべしとするのが判例(最判一小、昭和四〇年九月八日判決、刑集一九巻六号六三〇頁)である。すなわち、所得税法上の収入すべき金額は、いわゆる権利確定主義(会計学上の実現主義)により算定すべきことを原則としているのであるから、原判決のいうように、手形割引を手形売買と考える以上これをもつて収益は実現したとすべきであり、収入金額として認識することは当然であり、それまでの期間について前受利益という観念を容れる余地はないのであり、原判決はこの点において判例とことなる判断をしているといわざるをえない、手形割引は手形売買であつて、これによつて割引者は手形の所有権を取得するとともに、手形上の権利を取得し、これを行使しうるのでありそれは確定といいうるのであるから、この手形上の権利そのものを収入すべき金額として認識することは当然である。そして手形上の権利は券面金額によつて把握されるのであるから、この場合における収入すべき金額は券面金額となる。

原判決が、所得の経済的成果性の見地から手形割引につき、現金化を説き、前受利益の考え方を基礎に期間対応の収益を論ぜられるが、それはいくつかの誤まりを包蔵する。すなわち、所得の経済的成果性というのは、経済的見地から、その成果を測定しうるかどうかを指すのであつて、法律上の権利の設定を必ずしも要しないということ(実現主義)を指すのであり、手形割引の収益の測定に現金化を要する(いわゆる現金主義)ものではなく、したがつて、手形貸付とことなり前受収益の観念の入る余地はない。「法人の手形割引の前利益については、期間対応分を収益に計算することが原則」だとされるが、いわれるような原則はどこにもない。

要するに、手形割引という手形売買においては、買主は、これによつて手形上の権利を券面金額により取得し、これを行使しうるのであるから、この金額をもつて収入すべき金額とすべきであり、それは前記判例の趣旨である。これとことなる原判示は正当といえないと考える。

次に、このような収入すべき金額の確定の時期、すなわち、発生時期については、判例は、売買代金債権について、法律上これを行使しうるようになつた時としている。この判示自体抽象的であつて、一般的に何をメルクマールとすべきか必ずしも判然しないとの論もあるが(例えば、植松守雄、判例百選一〇五頁)、本件の場合は、手形割引時であること極めて明瞭である。けだし、前述のように割引と同時に買主は手形上の権利を取得し、これを直ちに行使しうる状態にあること有価証券の性質上当然であるからである(この場合、再割引に付したとすれば、券面金額以下となるのが通常であるが、それは割引料として必要経費となり、満期に不満となれば全額が経費とせられるであろう)。

要するに、本件における収益の発生時期には、手形割引時と認識すべきこと判例によつて明らかであるのに、原判決はこれに反しているのであつて、正当ではない。

なお、原判決はいわゆる継続の原則にふれ、被告人が従来この方法によつて経理をし、納税していればこれによることも許されるとされているが、継続の原則は会計処理上のもので、期間計算を前提とし、その期間における成果を正確に把握するために要請されるものであるから、これによつて、会計処理をしてきたとの事実があれば足り、税務当局に申告するとかその承認を受けなければならないものではない。したがつて、被告人がこの方法を永年にわたつてやつていたと認める以上(税務当局の指導もそうであること被告人の供述参照)、本件係争年度においても、この会計処理を認めなければならない。

原判決には、判例違反の違法があるか、少くとも、刑訴法四一一条一号により破棄されるべき著しい不正義がある。

一一、判決理由五、(三)、(四)、六について

原判決は、手形取引にかかる事業所得について過少申告であるからほ脱犯を構成する旨判示されるが、被告人は申告義務について認識がなかつたのであり、保険代理収入とともに申告しなかつたのであるから、原判示のように事業所得については過少申告ではなく無申告なのである。

したがつて、事業所得について過少申告を不正行為として被告人にほ脱犯を適用したのは誤つていること前記一、四、五、のとおりである。

なお原判決は被告人の申告義務について認識のなかつたことに関する証拠を排斥しているが、原審における被告人の上申書、供述に照らし経験則に反するものというべく、刑訴法四一一条一号に該当する。

一二、判決理由六、について

原判決は、保険代理収入は事業所得だとされる。これについては、代理店契約の動機、取次の回数、相手方、金額等に徴すれば、必ずしも異論がないわけではない。しかし問題は、後記、いわゆる謝礼金を雑所得とされる原判示と果して均衡がとれるかということである。謝礼金取引は被告人の金融行為の一環として、はじめられたものであり、金額も大きく、回数も多く、被告人の経済生活に対する影響度も大きい。このような謝礼金取引を事業所得から除外しておきながら、保険代理収入のような金額の少い、回数も少い取引を事業所得とする原判決は著しく社会通念に反する法解釈を示したものといわざるをえない。

原判決には理由不備又はそごの違法ないし経験則に反する法令の解釈適用をしている。刑訴法四一一条一号により破棄されるべきである。

一三、判決理由七、について

原判決は、博栄会関係の支払利息を現金主義によつて所得計算すべき旨およびその根拠として、利息算出は被告人の一方的、内部的意思に過ぎず、この段階では経費として確定していない旨判示される。

しかし、出資にあたり、事業者たる被告人に運用、利息(益)の配当方法を一任したという事実関係のもとでは、それが匿名組合契約なら当然、そうでなく一種の無名契約だとしても、被告人が算出した利息(益)は当然その年の必要経費とされるべきこと収益費用対応の原則からして認められるべきことである。

原判決の態度は、手形取引においては、利益計上を被告人のみの判断で当期分を計上することを認め(一五枚目表)ているに反し本件の支払利息については、被告人に一任されている利息の計算を被告人に認めないことになり、矛盾といわねばならぬ。

世上、小規模の個人事業者又は法人においては、店主又は代表者から資金を借入れることがあり、その場合利息についてなんらの取り決めがなくても期末には市中金利相当の利息を計上すべきことを税務当局に求められることは周知のことである。いわゆる認定利息であり、認定賞与(貸主にとつて)である。これを本件についていえば、当該期末には、資金の借入が認められる以上、被告人の計算がなくても収益費用対応の原則に徴し、支払利息を計上すべきこととなる。

なお、この支払利息に関する部分は、全く申告をしていない事業所得にかかるものであるから、すでに述べたように、原判決のいわれる過少申告という不正行為のない部分である。すなわち、ほ脱犯の範囲の外の部分であるということもできる。

要するに、原判決は、必要経費に関する解釈を誤まり、ひいて法律によらずして租税債務を被告人に課したことになるのであつて、憲法特に、二九条、三〇条に違反するものといわねばならない。又、判決に影響を及ぼすべき法令の違反ないし事実誤認があり、破棄しなければ著しく正義に反するということもできる。

一四、判決理由八、について

原判決の認定事実によると、土地売買の譲渡所得申告は、後藤観光株式会社の利益のために、その道具として利用されたのであつて、そのことは、取得原価を低くしていることからもいえるのである。換言すれば、被告人は所得税をほ脱する犯意に欠けていたと評価されるべきものである。

原判決は結局、刑法四一一条一号三号により破棄されるべきものと信ずる。

一五、判決理由九、について

(1) 原判決は謝礼金は事業所得にならないと判示する。

しかし事業所得については、既に御庁の判例(昭和三八年一〇月三一日刑集一四八号一〇三七頁)があり、それによれば、多数回の、取引所における人絹の先物取引によつて得た所得を事業所得としている(なお、製造業者が製造行為廃止後の原料の売却行為による所得を事業所得とした判例として最判昭和三二年一〇月二二日民集一一巻一〇号一七六一頁)。

ところで被告人は金融行為を反覆継続していたのであるが、それは単に手形割引のみに限らず、多数回に亘つて預金をしたことにより(金融行為をしたことにより)本件謝礼金を多数回に亘つて取得したものであつて、これを前記判例に照らせば被告人の金融業の範囲内の事業所得といわねばならない。

かりに、原判決のいうように手形割引事業と切り離したとしても、それは前記判例に照らせば、所得税法上の「事業」にあたり、これによる所得たる謝礼金は事業所得とせられるべきは当然である。

原判決には判例違反の違法がある。

なお、仮りに雑所得とされても、事業所得とされても、これらの所得については過少申告をしていないのであるから、ほ脱犯の要件としての不正行為はないのであるから、これをほ脱所得に加え、処罰の対象とすることは許されない。

(2) 原判決は不動信用金庫に対する預金について昭和三八年分の貸倒れとならない旨判示する。

しかし、下級審の裁判例であるが、ある年の貸倒れかどうかは事業の閉鎖等が続き、再建の見込がないかこれに準ずる事情があることを基準にすべきことを示した(大阪地判昭和四〇年七月三日判例集一六巻八号一三二八頁)ものがあり、それは行政実務のとるところに近い。ところで、本件の場合は、不動信用金庫という正規の金融機関が支払を停止し、事業を閉鎖し、再建の見込ない状態となつたのは昭和三八年一一月なのであるから、この時点で貸倒れと判断すべきである。昭和三九年に入つて中央信用金庫が三割を支払つたが、それは不動信用金庫の弁済でないのみならず、仮りに収入だとするならば、その年の収入として別途に計上するのが正当である。

(3) 原判決は新法五一条四項は確認的規定であるから、本件に適用できない旨判示する。しかし、被告人援用の裁判例(東京判昭和四一年三月一五日、税資四四号一九六頁、同昭和四二年一二月二六日、税資四八号六八五頁)に徴するも正当といえない。

原判決は判決に影響すべき法令の解釈適用を誤まりかつ事実を誤認し、よつて被告人に負担せしめるべからざる租税を負担させ、よつて憲法二九条、三〇条に違反し、のみならず、判例に違反したものであつて、破棄しなければ著しく正義に反するものである。

一六、判決理由一〇、(二)について

原判決は、女中二名は、会社が多忙な折、時折会社の用務を手伝つていたことを認定している。右の認定事実を前提とすれば、女中給与については、会社と被告人の負担割合をきめなければならず、少くとも全部が被告人の負担とせられ、認定賞与とされるべきいわれはない。すなわち、原判決は認定した事実に対し法律の適用を誤まり、ひいては、被告人に違法な租税債務を負担させた結果を招来したもので、刑訴法四一一条一号に該当し、ひいては憲法二九条、三〇条に違反するものといわねばならぬ。

一七、判決理由一〇、(三)について

原判決は、会社と被告人との間には消費貸借は成立していないと認定した。しかし、原審の被告人の供述、上申書に照らし、右認定は経験則に反するものである。原判決は重大なる事実誤認をしているのであつて、それは判決に影響を及ぼすものであるから破棄しなければ著しく正義に反すると考える。

一八、判決理由一一、について

原判決認定の事情、特に犯行前および後の事情に照らせば、原判決の刑の量定は甚しく不当で、原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると考える。

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